11月24日 (月)  伝える難しさ

正論をいうことは簡単だ。

けれど、怒ると叱るは似ているようで難しいらしい。

指摘と侮辱も難しい。

指摘することを一つ間違えると、侮辱になる。

間違ったことは言ったつもりはないのだが難しいものだ。
注意した方が、注意される。
意外と世の中は不合理に出来ている。

『綺麗な物の中には、この不細工な作品はそぐわない』と
不都合な物を排除することは、とても簡単だ。
けれど、告知には『素材は自由。応募された作品は、すべて飾る』ということになっていれば
それは、社会的におかしい物でなければ、飾らなければいけなかった。

実は、書いたり、消したり、書いたり…へたれていたのは
そんなことが あるイベントであったのだ。

どんな理由が背景にあったにせよ、飾られるべき作品があったわけで
その解決方法があまりにも安易すぎていたので
私は怒ってしまった。

「いや、それは怒られて当然なのよ。だって募集告知がそうなってるんだもの。どんなに悪戯書きのような作品でもね、どんな理由で制作したにせよ飾らなければ、この場合はオカシイ」と
どこのイベントか伏せて色々な人に素朴に質問してみたら
10人が10人とも似たように「オカシイ」と言われているのだけども
色々と考えてしまう。
「自分の考えに自信を持て」とも言われる。
「それってまるで親方日の丸のような公務員みたいな仕事だよね、それでいいわけ?」とも言われる。

もちろん私が今回怒った視点について間違ってはいないと思うし
ありのままを伝えたことにすぎない。
実際にあってはいけないことが、そこにあった。

しかし、逆にお叱りを受けた。
私の伝え方に問題があるらしい。

人に寄っては、それを相手の逆ギレじゃないかと呆れる人もいるだろう。
実はそう思わなくも無く、だが、それをそう受け取っても良いのかと考えさせられる。

もちろんそれを違うところで怒って下さった方には
私の気持ちがわかってくださったんだ、ここの会社はまともな会社で、まともな意見を持っておられる人も居ると安心はしたのだが
そこ以外は、なんともいえねぇ・・・・・・という部分もある。

売ることと、どんな作品でも受け入れるという部分は違う。
告知内容からして、どんな作品が来ても驚いてはいけなかったのだが、驚いたんだろうね・・・・・・免疫が少ないと仕方ない面もあるが
それでも、驚く作品内容に対してそこに「大人の事情」をそれ以上押しつけてはいけなかったのです。

どんな背景で制作されたにせよ
その子のその地点の頑張りをそこで認めてあげなければならなかったわけで。

大人から見れば、ものすごく酷い作品が来ていたのかもわからないが
「う●こ」等のような事とか書いてない限りは、
はっきりいって「飾るべき」だったわけです。
その背景にはどのような状態で製作していたか、それを考えてあげなければならない。
嫌々ながら制作した子もいたかもわからないし
そういう子であれば材料一つ100円出して買うのもきつかったかもわからない。
用意したからと言って、作る方法すら分からなかったかもしれない。
中には、貧乏苦学生で材料が用意できずに
「これでいい」と提出した物が大人からみてあまりに酷かったのかも分からない。

名前が出てもイイと思って、製作しただろう。
もしかして、そこまで深く考えていなかった可能性もあるが
今のその子の成果は、学校の先生はちゃんと認めてあげて欲しい。
その成果は、誰か第三者に指摘されても
堂々と「うちの学校の生徒が頑張った成果なんです」と言ってやればいい。
私はそういう学校の先生がいる学校へ我が子を通わせたいと思うが…なにか学校の先生も違うと今回は思う。

とんでもない物を子供は作ることがある。

子供と呼ばれる年齢で無くてもそうで、
うちの教室へ来る人は、ほとんどが初心者で
「作り方がわからない。でも作りたい」と
決して安くは無い教室代を払って2時間習いにくる。

そこにくる人の縫い目は、決して一般的には綺麗な縫い目では無いけれど
頑張って縫ってくれている。

わからなくても当然なのだ。
とんでもなく使えない物が出来ることさえあるかもわからないし
実際そんなものも見たことはある。
私も接着剤を使う作品を作ることもあるけど
今時は「裁縫上手」みたいな接着剤も出回っており
なんでも接着剤で解決させてしまう作品も作れてしまうし
そう解決している様子も見たことはある。

でも、忘れてはいけないのは
作ってる本人達は楽しんでいる。

私は一作家でも客でも無く、新米という先生である立場からみて
「うん。よく頑張ったね」と言う。実際がんばったんだもの。

それを「酷い…」と思って大人達(職員と学校の先生)が見た目で判断した場合
今回の告知内容から考えたら、決して許されるべきではないと
やはりどんなに考えても思う。
一回受け取って、それは数に入れたのですから
安易に一次審査と解決するべきではなかったと言える。

綺麗な物から汚れた物をつまみ出すのは、とっても簡単です。
販売するわけではない、間口を広げたある企画がそのようになった場合
やはりコンテストの主催・企画側もそれは受けとめなければならんのです。
頑張ってくれた子供の作品も認めて飾るべきだったのです。
そこに大人の事情はいらんのです。
むしろ大人の事情で作ってくれた、有り難うといって伝えるべき参加者なのです。

集まりが悪いからと、それではこうしたらとアドバイスした私にも責任がある。
青少年を傷つける結果だったとさえ思うだけに、いかんかったな…。
今回の場合は、絶対にやってはいけない。

手作りすることを嫌いにならないで欲しい。
仮に、今の地点で接着剤やマジックペンで解決した制作しか出来なかったとしても
頑張って下さった高校生300人に謝りたいと思うし
頑張ってくれたことに感謝したい。

書くか、消すか、ものすごく迷ったけれど
あえて残すことにした。
私のような人がもしいたら、参考にしてほしいと思う。
ネットの片隅のゴミのような書き込みであっても参考になるのであれば。

・・・そんなわけで、ミシン貸して壊されることも覚悟しようと決めたわけですよ、別の次元で。
それと同時に「良いこと言いながら近寄ってくる人間はやっぱり危険」ということを自分の中にインプット。